高齢化に伴って、社会保障費が増えているということで、いろいろな議論がされていますが、これも今一つポイントを突いていないと思われます。
医者が儲けすぎているのかと言われたりするのですが、私の知り合いの街医者曰く、「確かに収入は億を超えるが、家賃・人件費・設備更新などで借金も多く、競争も激しくなってきて、そんなに左団扇ではない。可処分所得はそりゃ平均的サラリーマンより多いが、勉強しないといけないし、夜中呼び出されたりするし、無駄なお付き合いも多い。」と。
最近の最先端の医療機器や医薬品は高額ですが、その一方で救える命の数も増えてきているのは間違いないしょう。そういう機器や医薬品が主に使われるのは延命治療、お金は命には代えられないというわけです。COVID19以降、医療機器会社や製薬会社が叩かれていますが、資本主義なので金儲けとはいえ、動機も目指してことも「命を救いたい=延命」という「善意」の実現であることは間違いないでしょう。
ところでこの延命治療では、延命期間中は患者さんも副作用とか苦しんでいらっしゃる話もよく聞きます。口から食物を摂取できなくなって、胃ろうになり、そして点滴へ。また、延命はしているが抗ガン剤の強い副作用で強い吐き気が続いているとか。治るという希望を残しながら必死で耐えているという話も聞きます。しかし「では治療を中止しましょう」というのは、まさに「死の宣告」であり、患者さんにしてみたら「殺されるのか」、看取っている家族としては「(親を)殺してしまうのか」という辛い気持ちになります。少なくとも家族から患者には、なかなか言えない言葉です。社会福祉費用は結局こういう「死にどう向き合うか」に行き着かざるを得ないように思いますし、ここに触れない限りは解決はできない。これはもう政治や科学の世界ではなく、「死とは、生とは」「安楽死」という死生観、つまり宗教や思想の領域になるでしょうね。最近は宗教・思想が退廃し、科学・啓蒙論の優越で議論が避けれれてきた分野です。しかし、この領域の国民的コンセンサスを醸成させていくことがなければ根本的な解決にはなならない気がします。
最近はすこしずつ「化学療法拒否」「抗ガン剤拒否」「延命治療拒否」のようなケースも聞こえてきますが、思想的支えがないとなかなか広がっていかない気がします。なにも「年寄りを殺せ」ということが言いたいわけではありません。健康でどんどん長生きしていただくのは喜ばしいことですが、いわゆる終末医療をどう入れ込むか、こちらの議論や活動がもっと必要だと思っています。この議論なしに社会補償費用の増加をどうするのかを議論しても空回りするような気がします。
延命治療以外でテクニカルな話としては、どこでどう線を引くかの具体的な課題はありますが、免責を設ける必要があるでしょう。例えば、軽微な傷、風邪には適用しないとか、いくら以下には適用しないとか。同時に免責に対する抵抗を緩和する措置も必要かもしれませんね。アメリカの健康保険(AETNAとか民間)もそうなってたと思います。事例があるので、気づいている人は多いと思いますが、踏み出せない障害があるのでしょうね。


